昨日、木違水爺の59歳の誕生日
急遽決まったわけではもちろんありませんが・・・なのです。
朝から作業場は雪の中
でもってミミズクへ挑戦、初焼きしまして
ヒナと昼食、気になるあの方のおすすめ
シリーズヌードルをいただきました。
焼きっぱなしの梟は微妙な感じ、
後で水洗いいたします。
でね、天間温泉の親爺へプレゼントを
かねまして「年賀干支」へ挑戦いたしました。
で、プレゼントをもって温泉へ出発!
なにやらクレーンが見えます。
温泉左の親爺の館へ
すっごい太さのヒバ柱
男湯の展望露天風呂!
中は、
男性脱衣所から入るのですが
これでもか!って銘木階段がお出迎え、んで
こんなコトになっています。
チェンソーアートギャラリーが
良く似合いそうな空間です。
でもってお外に戻り
庭石が中央入口にお見えしましてその更に左に
で、でました!社寺??!
「浄土柱」って言うらしいです。
う~む
う~何とも説明が、、、
凄いことになってます。
この奥には、与作さんの巨鯉のためだけに
建てられた説の東屋があり、きっと巨鯉も驚いていることでしょう。
おっ!いますね~
割れ止めが効いてまして、色さめもなく
ドッシリと泳いでいます。
いいですねぇ~、良い感じです。
奥へ行きまして
もう一つの東屋へ、、、
「あっ龍だ!」の丸太も健在です。
足湯があり、冬季間、いつでも入ることができます。
って冬ですぞ!って言ったら「止められるか~!」って
叫んでました59歳。のこ親爺のコトを記事にすると長くてかなわん。
でもね、温泉、温質は本当いいんですよ~!心から暖まります。
あ、でもね、女性露天風呂・・・写真撮影許可ならず断念。
こればかりは流石に許可なりませんねぇヒナの報告によると
ジャクジー風でマイナスイオン温泉になっているとのこと。
是非、お楽しみ下さい。
そうそう、私からのプレゼント!
「ハッピーバースディー59、
ちょっと早めのメリークリスマス24、
まだまだ先のハッピーニューイヤァー!」
って手渡しして参りました。押忍!!
メンバー様、次回は12月20日、21日連日カービングですぞ!!
****** 追 伸 ******* 『浄土柱』とは *********
昨日、天間温泉の親爺から銘木2枚を預かり
「落成の時の看板たのむわ~」って預かってきました。
今朝一番、「いつできる~」って電話?!
aj:「いつまでに作ればいいの~」
親爺:「んぁ、今日の四時に上棟式 兼 落成式 やるよ~」
aj:「無理!」、親爺:「いいって、おめぇも来いよ~」
あいも変わらず意味不明な電話に午前からドタバタしてます。
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PS、ちなみにこの親爺、誤解があってはならないので・・・
私とは一切血縁関係も何もありません。ただ私がマニア好き
ってゆうだけです。
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さてさて、『浄土柱』に戻りまして、看板構成案にてその詳細
『浄土柱とは・・・』
国宝、「浄土寺」(兵庫県小野市)の隅の一角を再現した柱。建物に天井がはられず柱が小屋裏まで高く林立している。浄土宗の僧侶、俊乗坊重源(しゅんじょうぼうじゅうげん)の建築。重源の建築は、その垂直性の印象の強さによって振ように立つ「林立」する感じになる。
重源は、平重衝の南都攻めによって炎上した東大寺の再興を、六十才を過ぎてから大勧進(だいかんじん)職を任された。周防(山口)と備後(岡山)の二国を与えられ、そこから材を供出し、浄土堂などを建立しつつ東大寺再興の計画を練り、資金手当もしていた。重源は、大工の健康管理のために「湯屋」を作り、日本で最初に福祉事業をした人といわれている。三度入宋し、土木建築を修得したという。不屈の精神で八十才を過ぎてから十五年ぶりに東大寺の再建供養をおこない、その威容をよみがえらせ、「生涯発達」の人とも呼ばれている。
重源の遺構は、現在四つある(全て国宝)。浄土寺浄土堂(建久三年、1190年)、東大寺南大門(正治一年、1199年)、東大寺法華堂礼堂(正治一年、1199年)、東大寺開山堂陣内(正治二年、1200年)。東大寺南大門が有名だがその原型が浄土寺浄土堂である。
この「浄土柱」は、1991年日英同盟百周年を記念してロンドンのビクトリア&アルバートホールで開催された、ジャパンフェステバルで日本の中世における浄土をこの浄土寺浄土柱で現したときの実物です。
と、言う訳なのです。深良いぃ~~~でしょ。
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